ゴジラ(1954年版)を観に行った @川崎チネチッタ その2

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続きです)

 ネットで予約したので自動発券機で発券しようとチケット売場をぐるりと回ったが発券機らしきものは見つからず。
 上階に上がってみたもののやっぱり見当たらず…(´・ω・`)
 しょうがないのでもう一度下に降りるか…と思ったらやっと見つけた。ひっそりと物陰に。ううむ。この配置おかしくないか?…まあ事前に調べとけと言われればぐうの音も出ないが。

 しかも2台しかないじゃん。新宿ピカデリーや六本木のTOHOシネマズだったら5,6台はあったぞ。とは言え需要が無ければ供給も渋るのが経済の原則、チネチッタはそれほどでは無いということなのであろうか。なんか寂しい感じである。それとも別の場所にまだあるのだろうか。

 …などと思い、帰ってからチネチッタのHPを確かめてみると、1Fに3台、2Fに2台設置とのこと。うはww案の定wwww
 単に不注意だっただけか。
 まあ初めてのハコだし、時間が押してて焦ってたし…と言い訳してみる(;^ω^)

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 そんなこんなで、飲み物とポップコーンを購入し、やっと席についた。ざっと見た感じで埋まり具合は7割くらいか。さすがに一番前のブロックはほとんどいなかった。さすがにあの席は前すぎるもんなあ。
 客層は中高年層がほとんど。さすがに就学前の子供を連れてるのは自分くらいのものだったようだ。でも小学生くらいの子も見かけた。こりゃ将来が楽しみだわw

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 そして上映が始まった。

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 ゴジラのストーリーに関しては、まあ語り尽くされておるのであえてここでは語らない。
 とりあえず↓のページにあった解説をそのままコピペするとすっか。
チネチッタ | 毎日新聞×日本映画大学×チネチッタが贈る「CINECITTA’名画座」 第10回『ゴジラ』東宝(株)(1954年)
http://cinecitta.co.jp/sp/meiga/
※上映期間: 1/19(土)~25(金)

日本映画大学教授メッセージ

●ゴジラに込められた「期待」
『ゴジラ』は、核実験が繰り返されていた1954年、第五福竜丸事件の記憶も鮮明な時代の作品だ。水爆実験の影響で目を覚ましたゴジラは、「放射能」をまき散らしながら船を襲い、東京を破壊する。
劇中での「水爆」や「放射能」といった語のせいもあり、ゴジラは核の象徴だと思われがちであるが、東京湾から上陸したゴジラが、東京大空襲でのB-29と同じ順番で東京を破壊していくことを考えると、ゴジラは太平洋戦争の象徴と理解する方が適切だろう。 この映画の主題は、その恐ろしいゴジラに勝ててしまう新しい武器を作り上げてしまった科学者の苦悩だ。芹沢博士は、1匹で東京を破壊し尽くすゴジラをも上回る大量破壊兵器、「オキシジェン・デストロイヤー」を開発してしまう。彼は、新兵器でゴジラを倒すべきか、軍拡競争や将来の犠牲者のことを考えて新兵器を葬り去るべきか苦悩する。ゴジラに対抗できるこの新兵器こそが、核の象徴である。
端的に言えば、『ゴジラ』は「核を持ってしまった科学者の苦悩」を描いている。大量破壊兵器を保有・使用することの意味を、一人の科学者が抱え込み決断する。私は、1950年代の科学者がどれほど社会から期待されていたか、いや、科学がもたらす未来にどれほどの期待がこもっていたか、を想像せずにはいられない。公害などの科学の負の面が大きな社会問題になる前、新しい科学の作る未来は、「正しい心」さえあればバラ色だったのである。
2010年代に、ここまで大衆の期待と大きな暴力を背負えるような存在はない。もし現在に新たな「ゴジラ」が現れたら、我々は何に期待を見い出すのだろう。

日本映画大学准教授 中川譲

 久しぶりに観てまず思ったのは、固~く作ってあるなあ、ということ。"キンゴジ"以降の割り切ったエンターテイメント路線とは違って固めにSFしてる。
 "逆襲"はそういう意味ではいささか中途半端な印象がある。本田監督が携わってないからかもしれないけど。

 まだ戦争が終わって間もない時期(と言っても9年経ってるけど)、当然スタッフは皆リアルに戦争を体験してる訳で、なんというかゴジラが暴れるシークエンスの絶望感たるや流石である。
 ゴジラシリーズどころか日本の巨大怪獣映画のトップバッターであり、ゴジラという存在がどんなに巨大でどんなに恐ろしい存在なのかが丁寧に積み重ねられていくのもいい。何せ比較になるものが無いのだからこれくらいやらないと説得力が出ない。
 今の目で見れば、ちょっと稚拙に思える特撮シーンもあるにはあるが、何しろこれが最初の試みであるのだから当然。現在の日本の怪獣・ヒーロー特撮全ての原点なのである。それでこのレベル…円谷英二さん…あんたは恐ろしい人や…。
 まあその分お金もかかってるんだろうけど。

 そういえばレイ・ハリー・ハウゼン氏の著書(コンプリート・レイ・ハリー・ハウゼン)を読んだら、ハウゼン氏の特撮は「予算を削減する手段」という側面が大きかったようで、繰り返しその事に言及していたのを思い出した。
 日本映画の場合、逆に特撮は予算がかかりすぎると忌避される傾向にある(気がする)。この違いはなかなか面白い。

 それにしても、大戸島で最初にゴジラが姿を現すシーン、この気合の入り方はすばらしい。やっぱりファーストインパクトがしょぼいと全部にケチがつくからね。
 このシーン、昔ビデオで観たときは、全くと言っていいほど合成の継ぎ目が分からなかった。本当にすごい。しかし今回大スクリーンで観ることができて、やっとどこで継いでるのか分かった。ちょっと目からウロコが落ちたわ。
 逆さまにしたカメラで逆さまに吊った飛行機を撮影する、みたいなちょっとした目先の変え方がものすごい効果を上げてる。これだけでも今回観に行って良かったと思う。

 一方ドラマパートでは、大戸島の伝説やそれにまつわる神事など、まだ全国ネットのテレビによって日本が均質化する前の「『あまり知られていないとある地方の風習』のドキュメンタリーフィルム」のようで、当時の観客には逆にリアリティを感じられたのではないかと思う。「バラン」のバラダキ信仰の描写なんかにも通じるところである。
 ただ、ドラマは流れがいささか冗長なところと、ちょっと端折りすぎ…と思えるところがあって、そこだけが残念な感じ。編集で尺に合わせて切りまくったのかもしれない。
 まあ作った人が「これがベスト!」と言うならそれが一番いいってことさ。

 あと、昔の特撮映画(もしかしたらどの映画もそうだったのかもしれないけど)は、最後に「終」とだけ出て、エンドクレジットもエンディングテーマ曲もなしにすぐ電気がついてしまう。
 ちょっと寂しい。(;^ω^)

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 ウルトラマンも仮面ライダーもいない世界…ウルトラQのような明るさも無い…子供にはちょっとショックだったかもしれない。実際後で聞くと「ちょっと怖かった」と言っていた。
 そのせいか、もぞもぞ席の上や通路を動いたり、しゃべり出したりして、隣の人には迷惑だったかもしれない。本当にすいませんでした...(m´・ω・`)m

 うーん、今回はちょっと長文になりすぎたかなあ。
 まあそういうときもあるさ。したっけ~♪ ヽ(´ー`)ノ

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